いま、再び学び舎へ、そして地域へ一歩 

講座内容の紹介

匠・日本の文化再考 ―「いま、日本に学ぶ」 〜日本人の日本再考―

衣・食・住・遊・交の各分野ごとに日本の文化を語り、日本人のこころを伝える匠たちの声に耳を傾けると、捨ててきたもの・ことがら・精神に気づかされます。もう一度立ち戻る場がみえ、日々の習いを進めながら、つくり直さなければいけないこれからの社会のあり様がみえてきます。

 縄文人の村づくり、家族づくり〜さすらいと定住のあいだ

山田 昌久

豊かな自然の中で森や水を大切に、他者を思いやる日本人の心の原点は縄文人の村づくりから始まっている。祖先から連綿と受け継がれてきたいのちへの畏敬、新しく生まれてくるいのちのいとおしさへの気づきは、“家族”形成の出発点でもある。縄文人の発明した「村」という社会システムは、現代巨大都市への警鐘モデルとして、また未来へむけての知恵の宝庫として位置付けられている。いま、再び「縄文の心」を見つめなおす。

 風を通す日本の住まい〜木造家屋の知恵と伝統美

藤井 恵介

住

「家をつくり、子を失う」と揶揄される現代社会において、住まうこととは何か。木造家屋に秘められた日本人の知恵とは…。高層住宅に住むようになった現代人の失った感覚とは…。様々な問題を身近に引き寄せ、考えること知恵を出すことで、人間性復活を唱える匠の語りは静かだが…。

 「畳道」

荒井 将佳

住

「畳は人を盛る器である。」切れ味よいこの言葉の意味するところ、その奥深さは日本人のよきたたずまいの原点。畳・結(ゆい)・和・座など畳文化を紐解くとき、現代コミュニケーションのキーワードに思い至る。

 家族のかたち〜2006

山本 厚生

住

「家」づくりは、「住まい」づくりであり、それは「家族」づくりそのもの…300を越える木造住まいをつくり続け、その家族を見てきた師の穏やかな視線の先にあるものは、迷える多様な家族像。集合家族、他人家族、解体家族…。形づくりは、「ひと裁ち折り紙」の世界にも深く入り込む、師の思考と行動の幅の広がりに驚く。

 季節を盛る・心を盛る

食

料理の基本はダシ…その微妙な味わいを見事に感じ分ける日本人の味覚に誇りをもち、彩り豊かな四季の恵みに感謝をし、手さばきよく作り上げる料理の一品一品には、野崎洋光〜「日本人その感性、極みの世界」が広がる。

 野菜のおいしさ・日本人が求める旨みの原点

霜多 増雄

食

くさい野菜といわれたハーブにいち早く挑戦し、プロが絶賛するおいしい野菜をつくり、「農業は科学である」と言いきる挑戦者の言葉は、“危険な有機野菜”、“殺菌”“滅菌”だらけの不自然な現代の野菜に警告を鳴らす。

 神は細部に宿る〜酒づくりの道

本庄 啓介

食

大学で学問が導いてくれた微生物学・栄養化学・植物生理学の魅力の世界は、ビール会社勤務時の食文化(素材・調理・器)探求の道へとその興味の幅を広げ、西ドイツ留学を経て「アウグスビール」誕生へとつながる。学生時代に魅せられた世界は、今も師の酒づくりへの熱き思いとともに限りない人生、その時づくりの魅力へと誘う。

 スローライフの知恵ごよみ「旧暦」と暮す
   〜“私”に還る、もうひとつの時間軸

相良 高子

60年の繁栄を支えたものさし、社会にあっては、大量生産、大量消費、画一的、終身雇用の守り…一度この辺で脇においてみませんか。日本人の知恵、旧暦を新しいものさしとしたとき、見えてくるものが変わってきます。自分、からだ、季節の変化、四季の喜び、自然体…。いつしか人とのかかわり合いの変化に気づかされます。気遣いの文化を育んできた日本人が失ってきたものを静やかに語ります。

 「素心陶戯」〜志野・織部に込められた日本人の感性

遊

約400年前に誕生した我が国独自のやきもの、志野織部。その特色は不整形左右非対称、未完の美にある。それは他国に例を見ない豊かな日本人独特の感性が凝縮された工芸品である。その先人の感性、精神を礎にし、独自の現代的志野織部表現を追求するなかで発見した、その奥深い魅力を語る。

 今に生きる江戸の文化

遊

普段何気なく使っている言葉や道具、習慣、そして衣・食・住などの語源や起源を、「生活(くらし)に生きる江戸文化」と題して切り口爽やかに語ります。文字通り“日本の語り部”ここにあり。

 万博の歴史にみる人間の物語

交

うたかたのイベントに夢を見た人々がいた〜「昭和十五年国際万国博覧会」。1930年代といえば満州事変、2・26事件、日中戦争そして41年の真珠湾攻撃へとつらなる暗い世相が思い浮かびます。ところがそんな時代の日本に、外国人観光集客と外貨獲得、そして景気浮揚を目指したお祭りイベント「国際万国博覧会」を計画・推進した人々がいたのである。

 「語る舞台」〜新たな世界観構築にむけて

遠藤 啄郎

交

言葉を発する力が失われてきたのは、いつの頃からだろうか。アフリカ、バリ島など文字のない社会を訪れると、言葉の表現か極めて豊かであることに気づかされる。インターネット依存の社会に生きるわれわれは、言葉にいま一度身体性をもたせ、“語ること”から、自分を見つめ、他人とのかかわりの糸をたぐり、新しい世界観構築へむけて、地域を・社会を・日本のこれからを考えていくことが大切ではないか。仮面をかぶり、顔の表情が消されたとき、人は残された身体の機能(言葉・手足の動き)に“伝えること”を託す。隠されて、現れる内面性に注目し、「仮面の声」を上梓、バーチャルから真のリアリティを鋭く見つめる。

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